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一口馬主の魅力は?

「では、具体的に一口馬主のどこが面白いの?」

一口馬主の存在を知り、単なる金融商品ではなさそうだ、とは理解しつつも、恐らく誰もが最初に抱く疑問ではないでしょうか。

一口馬主の楽しみ方は人によって少しずつ違うかとは思いますが、当サイトで以前この質問のアンケートを行なった際に、全体の80%以上を占めてダントツで多かった回答は、「愛馬の活躍・近況に一喜一憂(83%)」でした。逆に、一番少なかった回答は「投資商品としての魅力(2%)」で、やはり同じ金融商品としても、一般的な株式投資などとは明らかに違うスタンスで一口馬主を楽しまれている方が多いようです。


POGとの違いは?

「一番の楽しみが賞金配当で稼ぐことではなく、『活躍・近況に一喜一憂』であるならば、ペーパーオーナーゲーム(=POG)でも味わえるのでは?」と思われる方もいるかもしれません。確かにデビュー前の競走馬を選び、その軌跡を追っていくことで、自分にも配当や賞品といった経済的なリターンや、喜怒哀楽をもたらしてくれるという意味では、両者は近しい存在に見えるかもしれません。

しかし、POGを経て一口馬主に進まれる方はもちろん非常に多くいますが、一方で一口馬主、POGの両方を同時に楽しむ方も数多くいます。これは両者にそれぞれ別個の魅力があるからだと思われますが、ではどこが違うのでしょうか?

単純に考えると、正式に出資することによる報酬、負担、また得ることができる情報量など各種の特典・権利などから、一喜一憂のレベルが全く違ってくることが想像しやすいかもしれません。

もちろんそれも大きなポイントの一つですが、最も大きな違いは、POGの目的(ルール)が、最終的には一定期間内(通常約1年)での参加者間での順位を競う点にあることに対して、一口馬主では当然そのような定まったルールは無く、期間もその馬の競走馬人生とほぼイコールになるため、おのずと楽しみ方のスケールも違ってくる、という点に尽きると思います。

POGは1世代1年限定でその名の通り「ゲーム」気分でワイワイと楽しむ存在であることに対して、一口馬主はデビュー前の仔馬から歴戦の古馬まで、複数の世代の馬が入り混じることで、「馬主」気分をじっくりと楽しむという点で大きく異なり、まるで自分だけのプロスポーツチームを作り上げて経営していくような、奥の深い世界があります。


仔馬時代から競走馬人生にかかわれる楽しみ

一口馬主の場合、当歳(人間の0歳)~2歳の時期に出資を行なうことになります。割合的には、1歳の夏~秋頃に出資するケースが最も多い形といえるでしょう。この場合、その馬の出資からデビューまでにおよそ1年近くかそれ以上の期間があります。当歳馬に出資した場合は、丸々2年もデビューまでの期間がある形になります。

この期間をデビューまで首を長くして待つわけですが、実はこの期間が最も楽しくドキドキする、という方もいるほど、競走馬にとっては重要な期間です。出資した時には幼かった仔馬が、この期間でどんどん大人の馬体に成長していくことが、クラブから提供される写真や動画、あるいはクラブ主催のツアーや個人旅行などで、北海道の牧場まで直接会いに行くことで実感できます。

また、馴致、調教を開始するにつれその仔の性格が分かってきたり、競走馬としての基本動作を学習したり、小さなアクシデントを乗り越える過程を知ることなどで、まるで自分の子供の成長をみているかのように、自然とどんどん愛着が増してきます。犬や猫などを飼われた経験があれば想像しやすいかと思いますが、馬にも一頭一頭、容姿はもちろん性格にも明確に個性があり、また成長期には心身面で様々な課題も湧いてくるため、デビュー前からそれぞれの馬に大なり小なりそれぞれのドラマが始まっています。

余談になりますが、既婚者の一口会員から「最初は冷たい視線で見ていた奥さんが気づいたら自分よりハマりこんでいた」という微笑ましい話をちらほらと聞くのですが、これも女性ならではの感情移入の深さが、この趣味の楽しみ方にマッチすることをよく現しているといえるかもしれません。

さて、運とセンス(?)が良ければ、その仔の名付け親になるチャンスも、もちろんデビュー前の期間(応募締め切りはクラブにより異なりますが1歳末ぐらいまで)です。自分の付けた名前が競馬新聞の馬柱に載ったり、実況アナウンサーに呼ばれたり、新聞の記事になることは競馬ファンとしてまさに醍醐味です。また、現役時はもちろん、牡馬であれば種牡馬として、牝馬であれば繁殖として、あなたが考えた名前が血統表、つまり競馬の歴史に残り続ける可能性もあるのです。

「馬の能力を見極めるため」や「故障のリスクを減らしたい」などの理由で、可能な場合は2歳の入厩ぎりぎりまで狙い馬の出資を待つのも一つの考え方ですが、上記のような一つの楽しみ方を考えると、「どうせ同じお金を払うのであれば、仔馬時代から関わらないともったいない」という見方もできるかもしれませんね。デビュー前の育成期間、もっと言えば出資した瞬間から、「一喜一憂」は始まっているのです


子供の運動会を見守る親の心境

デビュー後、特にレースでの一喜一憂については、これから一口馬主を始める方でもおよそ想像が付くかと思われますが、よく実際の馬主が愛馬のレース観戦を指して形容される「子供の運動会を見守る親の心境」に近いドキドキの感覚が出走のたびに味わえる、非日常的空間の世界です。「まずは何より無事に。できれば良い成績で。あわよくば1着で!」と不安と期待、願望などさまざまな感情が入り混じるこの瞬間は、日常生活ではなかなか体験できない、冒険のような世界です。

また、レースの瞬間だけではなく、レース出走予定当週は月曜日からそわそわ、追い切りを確認して出走確定の木曜日からはワクワク、新聞の予想印に一喜一憂、出走直前まではドキドキ、そしてレースで興奮!、武運があればウイナーズサークルで記念撮影!と、めくるめく1週間になります。実社会では豊富な人生経験を積まれてきた方でも、その馬と関係者のここまでの道のりを思い、競馬という娯楽ながらも、騎手も馬も命を危険にさらして挑む真剣勝負の世界に、一当事者として身をゆだねると、発走前には胸の高鳴りを抑えきれない場面が多々訪れることでしょう。

馬券やPOGで楽しんでいた時代にはあまり気に留めなかった4着以降の馬にも、「よく頑張った」とねぎらいの気持ちが自然と湧いてくるケースも増えてくるはずです。普段何気なくテレビで見ていたごく普通の重賞競走でも、そこに出走するだけでもどれだけ大変なことか、クラシック競走に出走する馬がどれだけ狭き門を潜り抜けてきた優秀で頑健なエリートたちなのか、といったことも実感するでしょう。あるいは、1勝クラスと2勝クラス競走のレベルの違いを肌で感じて、条件馬といえども見る目が違ってくるかもしれませんし、ひいてはG1馬へのリスペクトも格段に増してくるものです。

日々の積み重ねから成長を感じる楽しみ

また、これは経験しないとなかなか実感できないことですが、出走週だけでなく、実はクラブからの定期レポートも、日常に刺激とリズムをもたらしてくれる大切な存在になります。例えるなら子供のころ、週刊少年漫画誌を毎週待ちわびていた感覚に近いでしょうか。レポートの頻度はクラブや馬の状況にもよりますが、入厩前は月1~2回、入厩後は毎週というパターンが多く、文量はどのクラブでも毎回数百文字はありますのでなかなか読み応えのあるボリュームです。競走馬には起承転結がついて回るので、引退時に読み返すと、まるで一片の短編小説です。

先ほど、馬にも一頭一頭個性があることを、ペットを例に説明しましたが、愛玩動物である犬猫とは違い、現役のアスリートであり、経済動物でもある競走馬は、常に何かしらの具体的な目標を持っている点が特徴でもあります。育成中の馬はデビューを、多くの現役馬は次走を、故障している馬も完治を目指して日々研鑽しています。どんな世界であれ、こうした明確な目標に向けて、関係者一丸になって努力する、いわば「プロジェクト」の現場を、文章や映像で追体験することは面白いものですが、それが自分が出資者として関与しているのですから、なおさら格別です。

順調に仕上がってきたり、追い切りの時計が徐々に改善してきたり、関係者からお褒めの言葉を頂いてニンマリすることもあれば、また逆に何かしらの課題が見えてきたり、ちょっとしたことで調子や体調を崩したりと、悲喜こもごも入り混じるため、普段のレポートも毎週待ちわびながらも緊張感をもって読むことになります。何頭かアクシデントが続いた時期は、毎週全馬の無事を確認するだけでホッとすることもあるかもしれません。

競馬ファンの視点で見ると、特定の馬について、マスコミを通じてネガティブな情報が表に出てくることはほとんどありませんが、オーナーサイドである一口馬主には、クラブを通じて、良いことも悪いことも、ストレートかつ詳細にレポートされます。

人間の小~中学校時代のように、育成、調教が進むにつれて、さまざまなことが起こりえますので、最初は新鮮に感じつつも、ややとまどうかもしれませんが、こうしたレポートにより、厩舎関係者や牧場関係者の、試行錯誤の努力や思いがひしひしと伝わってきますので、競馬の奥深さ、一頭の馬に関わっている人の多さ、その方々の日々の地味ながら大切な職人仕事などが垣間見れます。調教師などの著書を何冊か読めば伝わってきますが、能力やクラスに関わらず、預かった以上はその馬の能力を最大限に引き出したい、という前向きな思いは、優秀といわれるホースマンほど、執念のように持っているようです。


意外に思われるかもしれませんが、人間のアスリート同様、競走馬も身体面やメンタル面に、大なり小なり様々な課題を持ちながら競走生活を送るものです。例えば、順風満帆に見えたあのディープインパクトなども、先天的な蹄の問題を、装蹄師が試行錯誤しながら解消しての競走生活であったことが、後に明らかにされています。また、同じく三冠馬のオルフェーヴルも、課題のメンタル面を改善するべく、厩舎や育成牧場が一体となって努力を続けたことは有名です。若駒の頃の課題は、こうした関係者の努力や、馬自身の成長につれて徐々に解消されていくことも多く、その過程を見守るのも面白いものです。

首尾よく勝ち上がり、大きなアクシデントなく活躍してくれる馬に出資できた場合、5年以上の長い付き合いになるケースも珍しくありません。数年に渡って毎週レポートを受け取っていると、もはや自分の生活に、当たり前のようにその馬の存在が加わります。

競走馬は、基本的に母体から一年に一頭のみ生まれ、お母さんに見守られる幼駒時代、友だちと無邪気に走り回る子供時代を経て、ある時期から集団での教育を受け、大人になると労働の義務が生じ、競争社会で切磋琢磨しながらお金を稼ぐという意味においては、まさに人間の人生に似ているため、感情移入がしやすいとも言われます。どの馬も、皆さんの人生と同じように、山あり谷ありの馬生が待っているはずですが、「あいつはこんなに頑張ってるんだから、自分も頑張ろう!」 応援しているはずの愛馬から、逆にそんなパワーをもらう場面も時には訪れます。

そんな様々なドラマを知った上で、愛馬が大レースに出走、さらには活躍した日には、なにものにも代えがたい感動が待っていることでしょう。また、大レースではなくとも、たとえば苦労の末、タイムリミット直前に未勝利戦を勝ち上がった時などにも、大きな達成感を感じることもあります。「ダメな子ほどかわいい」ではありませんが、やはり紆余曲折が大きいほど、成長を感じた時の喜びも大きくなるのは馬の世界も同じです。


一口馬主の数だけドラマがある大人の趣味の世界

長くなりましたが、基本的な前提はあるにせよ、一口馬主の楽しみ方はあくまで人それぞれだと思います。たとえ同じクラブに加入していても、加入時期、毎年の出資馬の選択、出資頭数は会員それぞれで異なるため、3~4年も経つと自分と全く同じ出資馬の組み合わせを持つ人は確率的に1%未満、また多くの人が複数のクラブに加入していることを考えると、実際にはまず存在しません。まさに一口馬主の数だけ一口ライフのドラマがあるといえるでしょう。

紀元前のはるか古来より、人類にとって馬は移動や生産活動でかかせないパートナーであり、街中でも農村でも常に身近な存在でした。歴史書に名前が出てくるような名馬も世界各国で存在しましたし、そうした名馬を所有することが、現代以上にステータスであった時代もありました。現代では、競馬や乗馬が私たちと馬との数少ない接点となりましたが、牧場などで馬に間近で接すると、なぜかホッとした気持ちになるのは、サラブレッドの美しさだけではなく、もしかしたら、遺伝子に刷り込まれた人と馬の、長い長い歴史のなせるわざなのかもしれません。

一口馬主は、そんな馬たちとの「縁」を基軸として、日常世界とは切り離された、華やかさとホロ苦さが同居する「未知の世界」競馬サークルを舞台に、投資というそれなりの「お金」や「欲」を交えながら、さまざまな自分だけのドラマを、数年単位の時間軸でじっくりと、そしてワクワクと「冒険」するかのように楽しめる、いわば「究極の大人の趣味」の一つともいえるかもしれません。

「最近の競馬にはドラマがなくなった」そうお嘆きのあなたでも、ミクロの視点で一頭一頭に関わってみると、そこにはやはりドラマが息づいていることを感じるはずです。ぜひ自分なりの楽しみ方を見つけて、人生において長く楽しめる趣味に育ててみましょう。