個人馬主として、重賞馬に出会うまでに学んだこと
山口功一郎オーナーインタビュー(前編)
これまで生産者や調教師、獣医師、騎手などの競馬関係者の方々に、馬体の見かたについてインタビューさせていただきましたが、中央競馬の個人オーナーにお話を聞くのは初めてになります。
山口功一郎オーナーは、プロキオンステークス(G3)を勝ったアルクトスやファルコンステークス(G3)を制覇したシャインガーネットなど、数々の活躍馬を所有している新進気鋭の馬主であり、一口馬主も楽しまれています。馬体の見かたはもちろんのこと、競馬に向き合う姿勢や想いを聞いてみたいと思っています。
山口功一郎オーナーは、プロキオンステークス(G3)を勝ったアルクトスやファルコンステークス(G3)を制覇したシャインガーネットなど、数々の活躍馬を所有している新進気鋭の馬主であり、一口馬主も楽しまれています。馬体の見かたはもちろんのこと、競馬に向き合う姿勢や想いを聞いてみたいと思っています。
山口功一郎さん プロフィール
大学卒業後、外資系証券会社に入社し、同時期に一口馬主を始める。その後独立起業し、投資顧問系企業を設立。31歳で中央競馬の馬主資格獲得。2019年、プロキオンステークス(G3)をアルクトス号で勝利。2020年、ファルコンステークス(G3)をシャインガーネット号で勝利。
22歳で一口馬主をスタート、31歳で中央オーナーへ
― 今回は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。山口オーナーはTwitterでも積極的に発信をされており、昔から注目していましたし、最近は個人的にやり取りをさせてもらうことでより単なる馬主としてではなく、ひとりの人間としても興味を抱くようになりました。あっ、変な意味ではありませんよ(笑)。どのようにして競馬に興味を持ち、どういう想いで中央競馬の馬主になったのか、今に至るまでの過程や経歴を教えてください。
山口功一郎オーナー(以下、山口) 大学を卒業して新卒で外資系の証券会社に入り、22歳の頃に一口馬主としてのスタートを切りました。最初はキャロットクラブでしたね。ちょうどノーザンファーム系のクラブとしてリニューアルされた頃で、たしか1、2年目でシーザリオやハットトリック、ディアデラノビアらの活躍馬が一気に出たことを覚えています。まあ、私は出資していなかったのですけど(笑)。私が最初に出資したのは、カルナバリートというエルコンドルパサー産駒で、30戦して6勝を挙げ、オープンクラスまで行きました。
その後しばらくは、年に数頭に出資し、細々と一口馬主を続けて楽しみながらも、いつかサンデーサラブレッドクラブなどで40分の1に出資してみたいと考えていました。27歳ぐらいの頃、知り合いの紹介で林邦良さん(プロヴィナージュなどを所有)や田原邦男さん(ブラックエンブレムなどを所有)と出会い、個人馬主という存在を近くに知って、世界が広がりました。もしかすると自分の目指すところはここかもしれない、と思ったのです。
当時はサラリーマンとしては稼いでいたので、中央競馬の馬主資格を取得しようと申請をしましたが、ちょうど独立して起業したタイミングと重なって、事業の継続性がないということで却下されてしまいました。そこで仕方なく、自分の会社(事業)として3年間の実績を経て、ようやく31歳のときに中央競馬の馬主資格を無事に得ることができました。
― 22歳で一口馬主ライフをスタートさせ、31歳で中央競馬の馬主になるとは、ずいぶんと急激なステップアップのように思えます。かつて血統評論家の山野浩一さんが、馬券から入った競馬ファンが、競馬好きが高じて馬主(今であれば一口馬主をはさむ)となり、最後のステージとして生産に行き着くというピラミッドを提唱されていましたが、山口オーナーはそのピラミッドの登り方が尋常ではなく険しく激しいですね(笑)。ご自身の事業が成功されていることも大きいはずです。
山口 ラッキーなことに収入もついてきて、思っていた以上にトントン拍子でここまで来られました。私は経済学部の学生でしたが、当時は株についてほとんど知らず、たまたま就職活動をして働き始めてからこの世界を知りました。情報を集めて分析し、その結果が出るという、知的ギャンブルの世界なのです。対象物こそ違え、競馬と似ていますね。そういう世界が好きだし、向いているのだと思います。
競馬は株を始める前の大学生の頃から嗜んでいたのですが、競馬と似ているから株の世界に入ったということでは微塵もないです(笑)。実家の隣駅に小倉競馬場があるので競馬を身近に感じていたことや、ダービースタリオンという競馬ゲームにも影響を受け、自然な流れで競馬は好きになりましたね。ちょうどテイエムオペラオーが登場した時代でした。
山口功一郎オーナー(以下、山口) 大学を卒業して新卒で外資系の証券会社に入り、22歳の頃に一口馬主としてのスタートを切りました。最初はキャロットクラブでしたね。ちょうどノーザンファーム系のクラブとしてリニューアルされた頃で、たしか1、2年目でシーザリオやハットトリック、ディアデラノビアらの活躍馬が一気に出たことを覚えています。まあ、私は出資していなかったのですけど(笑)。私が最初に出資したのは、カルナバリートというエルコンドルパサー産駒で、30戦して6勝を挙げ、オープンクラスまで行きました。
その後しばらくは、年に数頭に出資し、細々と一口馬主を続けて楽しみながらも、いつかサンデーサラブレッドクラブなどで40分の1に出資してみたいと考えていました。27歳ぐらいの頃、知り合いの紹介で林邦良さん(プロヴィナージュなどを所有)や田原邦男さん(ブラックエンブレムなどを所有)と出会い、個人馬主という存在を近くに知って、世界が広がりました。もしかすると自分の目指すところはここかもしれない、と思ったのです。
当時はサラリーマンとしては稼いでいたので、中央競馬の馬主資格を取得しようと申請をしましたが、ちょうど独立して起業したタイミングと重なって、事業の継続性がないということで却下されてしまいました。そこで仕方なく、自分の会社(事業)として3年間の実績を経て、ようやく31歳のときに中央競馬の馬主資格を無事に得ることができました。
― 22歳で一口馬主ライフをスタートさせ、31歳で中央競馬の馬主になるとは、ずいぶんと急激なステップアップのように思えます。かつて血統評論家の山野浩一さんが、馬券から入った競馬ファンが、競馬好きが高じて馬主(今であれば一口馬主をはさむ)となり、最後のステージとして生産に行き着くというピラミッドを提唱されていましたが、山口オーナーはそのピラミッドの登り方が尋常ではなく険しく激しいですね(笑)。ご自身の事業が成功されていることも大きいはずです。
山口 ラッキーなことに収入もついてきて、思っていた以上にトントン拍子でここまで来られました。私は経済学部の学生でしたが、当時は株についてほとんど知らず、たまたま就職活動をして働き始めてからこの世界を知りました。情報を集めて分析し、その結果が出るという、知的ギャンブルの世界なのです。対象物こそ違え、競馬と似ていますね。そういう世界が好きだし、向いているのだと思います。
競馬は株を始める前の大学生の頃から嗜んでいたのですが、競馬と似ているから株の世界に入ったということでは微塵もないです(笑)。実家の隣駅に小倉競馬場があるので競馬を身近に感じていたことや、ダービースタリオンという競馬ゲームにも影響を受け、自然な流れで競馬は好きになりましたね。ちょうどテイエムオペラオーが登場した時代でした。
「あれっ、全然ダメじゃないか」
― 懐かしいですね。競馬を始めた頃の名馬やレースって、不思議なぐらい良く覚えていますよね。ところで、山口オーナーの所有されている馬は、僕の目から見ても素晴らしい馬体の持ち主ばかりなのですが、どういう基準や方法で選んでいるのですか?いきなり本題に入るようで申し訳ないのですが、山口オーナーに聞いてみたいとずっと思っていました。
上手く説明できないのですが、馬体全体のフレームが大きくて、決して筋骨隆々のマッチョというわけではないのですが、雄大な馬体を誇っている馬が多い気がします。 …