
「馬体の緩さ」をあらためて整理する【前編】
馬の世界にあふれる「あいまい」な言葉
競馬の世界には、あいまいな言葉が溢れています。特に馬体について語るとき、僕たちは驚くほどにあいまいな言葉を使いたがります。
「馬体が緩い」、「まだパンとしてこない」、「脚元がスカッとしない」、「ゴトゴトしている」などに始まり、「背中が良い」、「力が上に逃げる」、「チャカつくところがある」等々、馬の身体の使い方から気性に関することまで、実にあいまいな言葉だらけ。競馬のことを知らない人やビギナーが聞くと、まるで異国の言語のように不思議に思われるかもしれません。
競馬の世界で用いられるあいまいな言葉は、具体的に伝えたくても言葉で表現し難いものであったり、あえて直接的に表現することを避け、いわば婉曲的に、真意をぼやかそうとする目的もあるのではと感じています。様々な思惑が絡み合い、あいまいな言葉があいまいな言葉を生み、たとえばクラブのレポートや募集馬カタログ、関係者の評価コメントなどで僕たちが目にするあいまいな言葉は、高度に発達してきたのです。
ところで、こうしたあいまいな言葉はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。人口に膾炙するというと大げさですが、いつしか堰を切ったように競馬ファンの間でも日常的に話されるようになり、耳馴染みのあるものとなったのは、何をきっかけとしているのでしょうか。
「馬体が緩い」、「まだパンとしてこない」、「脚元がスカッとしない」、「ゴトゴトしている」などに始まり、「背中が良い」、「力が上に逃げる」、「チャカつくところがある」等々、馬の身体の使い方から気性に関することまで、実にあいまいな言葉だらけ。競馬のことを知らない人やビギナーが聞くと、まるで異国の言語のように不思議に思われるかもしれません。
競馬の世界で用いられるあいまいな言葉は、具体的に伝えたくても言葉で表現し難いものであったり、あえて直接的に表現することを避け、いわば婉曲的に、真意をぼやかそうとする目的もあるのではと感じています。様々な思惑が絡み合い、あいまいな言葉があいまいな言葉を生み、たとえばクラブのレポートや募集馬カタログ、関係者の評価コメントなどで僕たちが目にするあいまいな言葉は、高度に発達してきたのです。
ところで、こうしたあいまいな言葉はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。人口に膾炙するというと大げさですが、いつしか堰を切ったように競馬ファンの間でも日常的に話されるようになり、耳馴染みのあるものとなったのは、何をきっかけとしているのでしょうか。
あいまいな言葉の「起源」を考える
そんな疑問を抱いたのは、僕の記憶が定かであれば、競馬にまつわる昔の書籍や雑誌の中であいまいな言葉、たとえば「緩い」という表現を目にしたことがないからです。そこで僕がここ数十年で読んできた競馬本の中で、それらしき言葉が出てきそうなテーマの本を読み返してみたところ、やはりたったひと言も拾い出すことができませんでした。
つまり、ほとんど使われていないというよりも、ゼロもしくはゼロに近い。ひと昔前までは、少なくとも一般の競馬ファンが読む書籍や雑誌の中に、「緩い」に代表されるようなあいまいな言葉はほとんど存在しなかったのです。
あくまでも推測というか、僕の仮説になりますが、馬産地や競馬関係者の間ではあいまいな言葉は昔から使われていたにもかかわらず、一般の競馬ファンに対しては使われていなかっただけなのではないでしょうか。あくまでも仲間内の隠語であり、メディアというフィルターにかけられて外に出るときには分かりやすい言葉に変換されていたということです。それだけ競馬サークルと一般の競馬ファンの間には大きな隔たりがあったということであり、またあらゆる情報は大手競馬メディアを介して間接的に競馬ファンに伝わっていたということではないかと思います。
状況が変わったのは、一口馬主ファンの急増がきっかけです。それまでは馬券の当たり外れやそこにまつわるロマンを楽しんでいた競馬ファンが、一口馬主という新しい競馬の楽しみ方を知ったことにより、サラブレッドの生産や育成というステージに興味を持つようになったのです。自分の出資馬の状況が知りたい人はクラブからのより詳しい情報を求めるようになり、また生産や育成にたずさわる関係者から直接話を聞く機会も増えてきました。
そうして競馬ファンと競馬サークルの距離は急激に縮まり、それに伴い、それまでは内輪だけで使っていた隠語を誰かが話すようになり、発信されることで、一口馬主ファンのリテラシーが格段に上がっていったのです。ひと昔前までは、競馬サークルの中にいた人たちしか使っていなかった言葉を、今では一般の競馬ファンが当たり前に口にする時代になったのです。
そのような時代において、僕たちが当たり前のように使っているけれども、よく考えてみると意味が分からずに使っているあいまいな言葉について、一度この連載でもはっきりとさせておいた方が良いのではと思い立ちました。
一口馬主として結果を求めるのであれば、あいまいなものをあいまいにしておかず、そのあいまいな言葉の背景にある真意や根拠、心理を探って理解するべきです。さあ、僕と一緒に、あいまいな言葉の謎を解き明かしにいきましょう。
つまり、ほとんど使われていないというよりも、ゼロもしくはゼロに近い。ひと昔前までは、少なくとも一般の競馬ファンが読む書籍や雑誌の中に、「緩い」に代表されるようなあいまいな言葉はほとんど存在しなかったのです。
あくまでも推測というか、僕の仮説になりますが、馬産地や競馬関係者の間ではあいまいな言葉は昔から使われていたにもかかわらず、一般の競馬ファンに対しては使われていなかっただけなのではないでしょうか。あくまでも仲間内の隠語であり、メディアというフィルターにかけられて外に出るときには分かりやすい言葉に変換されていたということです。それだけ競馬サークルと一般の競馬ファンの間には大きな隔たりがあったということであり、またあらゆる情報は大手競馬メディアを介して間接的に競馬ファンに伝わっていたということではないかと思います。
状況が変わったのは、一口馬主ファンの急増がきっかけです。それまでは馬券の当たり外れやそこにまつわるロマンを楽しんでいた競馬ファンが、一口馬主という新しい競馬の楽しみ方を知ったことにより、サラブレッドの生産や育成というステージに興味を持つようになったのです。自分の出資馬の状況が知りたい人はクラブからのより詳しい情報を求めるようになり、また生産や育成にたずさわる関係者から直接話を聞く機会も増えてきました。
そうして競馬ファンと競馬サークルの距離は急激に縮まり、それに伴い、それまでは内輪だけで使っていた隠語を誰かが話すようになり、発信されることで、一口馬主ファンのリテラシーが格段に上がっていったのです。ひと昔前までは、競馬サークルの中にいた人たちしか使っていなかった言葉を、今では一般の競馬ファンが当たり前に口にする時代になったのです。
そのような時代において、僕たちが当たり前のように使っているけれども、よく考えてみると意味が分からずに使っているあいまいな言葉について、一度この連載でもはっきりとさせておいた方が良いのではと思い立ちました。
一口馬主として結果を求めるのであれば、あいまいなものをあいまいにしておかず、そのあいまいな言葉の背景にある真意や根拠、心理を探って理解するべきです。さあ、僕と一緒に、あいまいな言葉の謎を解き明かしにいきましょう。
「緩い」はサンデーサイレンスが持ち込んだ?
あいまいさを語る上で、まずはこの言葉から始めないわけにはいきません。「緩い」です。もしかすると、この言葉以上に競馬の世界であいまいに使われている言葉はないかもしれません。
サラブレッドの現場に行くと、緩いという言葉を聞かない日はありません。あらゆる場面で緩いという表現が用いられるため、聞いているこちらも聞き慣れてしまうほど。それはまるでツイッターやフェイスブックのいいね!と同じぐらいの軽さと頻度で使われていると言っても過言ではありません。そして、一度その言葉を使ってしまうと、その使い勝手の良さからかヘビーユーザーになってしまうという感染力の強さもあるようです(笑)。
サラブレッドの現場に行くと、緩いという言葉を聞かない日はありません。あらゆる場面で緩いという表現が用いられるため、聞いているこちらも聞き慣れてしまうほど。それはまるでツイッターやフェイスブックのいいね!と同じぐらいの軽さと頻度で使われていると言っても過言ではありません。そして、一度その言葉を使ってしまうと、その使い勝手の良さからかヘビーユーザーになってしまうという感染力の強さもあるようです(笑)。
緩いという言葉を聞いて、岡田繁幸氏と岡田牧雄氏の岡田兄弟を思い浮かべる競馬ファンは少なくないはずです。 …