1.はじめに
自己紹介
馬体について語ります、というと話の間口が広くなりそうなので、1歳馬の馬体の見方について語ります。つまり、一口馬主のための、出資馬選びにおける馬体の見方について、できる限り詳しく、分かりやすく説明していくつもりです。
本題に入る前に、簡単に自己紹介をさせていただくと、僕は「ガラスの競馬場」というブログを書いており、新しい競馬の雑誌「ROUNDERS」の編集長を務めている治郎丸敬之と申します。少し前までは、「ガラスの競馬場の~」という枕詞をつけて自己紹介していたのですが、最近は「ROUNDERSの~」と言うことが多くなってきました。
「ROUNDERS」は、「競馬は文化であり、スポーツである」をモットーに、世代を超えて読み継がれていくような、普遍的な内容やストーリーを扱う、読み物を中心とした新しい競馬の雑誌です。
「ROUNDERS」(ラウンダーズ)には、ポーカー用語で、「A person who earns a living by playing cards(カードゲームで生計を立てている人)」という意味があります。少し緩く意訳して「勝負師たち」。あらゆる意味において、競馬に関わる人たちもみな、「やってみないとわからない」可能性に賭けている勝負師たち。そんな思いも込めて雑誌の名前は「ROUNDERS」。
その「ROUNDERS」のvol.4にて馬体の特集を組んだことがきっかけとなり、こうして皆さまにサラブレッドの身体論を語ることになったのですから、(少し大げさですが)馬が1頭買えるぐらいの大金を突っ込んで、新しい競馬の雑誌を創ることで勝負に出た甲斐もあったということです。
ひとつだけ前置きをしておきますと、ここで僕が語る馬体論や馬体の見方は自分ひとりだけでつくり出したものではありません。「ROUNDERS」の取材を通じて、二ノ宮敬宇調教師や藤澤和雄調教師、橋田満調教師、藤井勘一郎騎手などの競走馬を扱うプロフェッショナルの方々に教えていただいたことや、ウィンチェスターファームの吉田直哉さん、獣医師であるハリケーンドクターさんらの馬にたずさわる方々の寄稿から吸収したこと、そしてこれまで幾多の馬体にまつわる書籍を読むことで著者たちから学んだことを僕なりに解釈し、皆さんにお伝えします。つまり、僕はスピーカーのようなものであって、決して全てを知っているとか、何もかもお見通しというわけでもなく、偉大な先人たちの肩の上に乗っかっているにすぎないということです。
本題に入る前に、簡単に自己紹介をさせていただくと、僕は「ガラスの競馬場」というブログを書いており、新しい競馬の雑誌「ROUNDERS」の編集長を務めている治郎丸敬之と申します。少し前までは、「ガラスの競馬場の~」という枕詞をつけて自己紹介していたのですが、最近は「ROUNDERSの~」と言うことが多くなってきました。
「ROUNDERS」は、「競馬は文化であり、スポーツである」をモットーに、世代を超えて読み継がれていくような、普遍的な内容やストーリーを扱う、読み物を中心とした新しい競馬の雑誌です。
「ROUNDERS」(ラウンダーズ)には、ポーカー用語で、「A person who earns a living by playing cards(カードゲームで生計を立てている人)」という意味があります。少し緩く意訳して「勝負師たち」。あらゆる意味において、競馬に関わる人たちもみな、「やってみないとわからない」可能性に賭けている勝負師たち。そんな思いも込めて雑誌の名前は「ROUNDERS」。
その「ROUNDERS」のvol.4にて馬体の特集を組んだことがきっかけとなり、こうして皆さまにサラブレッドの身体論を語ることになったのですから、(少し大げさですが)馬が1頭買えるぐらいの大金を突っ込んで、新しい競馬の雑誌を創ることで勝負に出た甲斐もあったということです。
ひとつだけ前置きをしておきますと、ここで僕が語る馬体論や馬体の見方は自分ひとりだけでつくり出したものではありません。「ROUNDERS」の取材を通じて、二ノ宮敬宇調教師や藤澤和雄調教師、橋田満調教師、藤井勘一郎騎手などの競走馬を扱うプロフェッショナルの方々に教えていただいたことや、ウィンチェスターファームの吉田直哉さん、獣医師であるハリケーンドクターさんらの馬にたずさわる方々の寄稿から吸収したこと、そしてこれまで幾多の馬体にまつわる書籍を読むことで著者たちから学んだことを僕なりに解釈し、皆さんにお伝えします。つまり、僕はスピーカーのようなものであって、決して全てを知っているとか、何もかもお見通しというわけでもなく、偉大な先人たちの肩の上に乗っかっているにすぎないということです。
現役馬と募集馬の見方の違い
僕は現役馬の立ち写真を見て、予想する材料のひとつにしています。数頭もしくは十数頭の中から1頭の勝ち馬をみつけるという観点からは、それら馬たちのそのときの馬体を減点法で評価せざるをえません。たとえば、毛艶が悪い馬や筋肉のメリハリに欠ける馬体の馬は、自然と本命候補から消えていきます。あらゆる点において、その馬の能力を十全に発揮できる状態に仕上がった馬に5つ☆の評価を下し(だいたい1つのレースに1頭ぐらいしかいません)、その馬の単勝を買います。それだけで年間で回収率が100%を超えますし、400%を超えた年もありました。
しかし、現役の競走馬の馬体を見るときと同じように募集時代のそれを見ればいいのかというと、そうではありません。馬体の見方やポイントというものは確かにあり、どこをどのように見るべきかについては現役時代も募集時代も同じです。当サイトの「名馬の募集カタログ」を見ても分かるように、1歳馬のシルエットや各部位は、現役馬になっても大きく変わるものではありません。しかし、その馬体の情報をどのように解釈し、考えるかという点においては全く違います。180度異なると言っても過言ではありません。
一言でいえば、現役時代の馬体を見るときには、その馬の馬体の欠点を見て減点法で評価するのに対し、募集時代の馬体を見るときには、美点を見て加点法で評価するということです。このあたりの考え方については次回以降で解説していきます。
しかし、現役の競走馬の馬体を見るときと同じように募集時代のそれを見ればいいのかというと、そうではありません。馬体の見方やポイントというものは確かにあり、どこをどのように見るべきかについては現役時代も募集時代も同じです。当サイトの「名馬の募集カタログ」を見ても分かるように、1歳馬のシルエットや各部位は、現役馬になっても大きく変わるものではありません。しかし、その馬体の情報をどのように解釈し、考えるかという点においては全く違います。180度異なると言っても過言ではありません。
一言でいえば、現役時代の馬体を見るときには、その馬の馬体の欠点を見て減点法で評価するのに対し、募集時代の馬体を見るときには、美点を見て加点法で評価するということです。このあたりの考え方については次回以降で解説していきます。
シンボリルドルフの逸話
今回は最後にせっかくなので、1歳時に外見(馬体)からはその素質を全く見出されなかったにもかかわらず、歴史に残る名馬となった馬について書いておきます。競馬について知っている人ならば、誰もがその名前に畏敬の念を覚えるであろうシンボリルドルフのことです。
シンボリルドルフはシンボリ牧場の生産馬であり、和田共弘オーナーのもと、野平祐二調教師に預けられました。その当時、調教助手として野平祐二厩舎にいたのが、今や日本を代表するトレーナーである藤澤和雄でした。3歳馬(今の2歳馬)として入厩してきたシンボリルドルフについて、藤澤和雄現調教師はこう記しています。
藤澤和雄調教師の語るように、誰の目にも素晴らしい(馬体)と映った馬はクヌートシンボリであって、シンボリルドルフではなかったということです。このことが何を意味するかというと、10年に1頭のような歴史的名馬は、2歳時の馬体からは計り知れない成長を遂げるものであり、いざ馬の背に跨って初めてそのエンジンの凄さが分かるものであり、さらに言うと、外からは知りえない強い心を持っているということでしょう。
はじめてその背に跨った野平祐二調教師は、シンボリルドルフの心のありようについてこう語っています。
シンボリルドルフのような歴史的名馬を挙げて、だから1歳馬や2歳馬の馬体を見ても、将来どのような馬になるか想像できないと主張しているわけではありません。むしろこうした馬は極めて例外的な存在であり、ほとんど全ての馬たちは、募集時代にはすでにその素質や特徴の片鱗が馬体からにじみ出ているということです。私たちは10年に1頭の馬を引き当てたいと思っているのではなく、他馬よりも少し速く走ることのできる馬を他人よりも少し早くみつけたいだけなのです。
シンボリルドルフはシンボリ牧場の生産馬であり、和田共弘オーナーのもと、野平祐二調教師に預けられました。その当時、調教助手として野平祐二厩舎にいたのが、今や日本を代表するトレーナーである藤澤和雄でした。3歳馬(今の2歳馬)として入厩してきたシンボリルドルフについて、藤澤和雄現調教師はこう記しています。
「シンボリルドルフは、もはや競馬ファンには説明の必要のないほどの名馬だが、3歳の時点でそれほどだとわかっていた人間はいなかっただろう。知っていたのは神様だけである。この時シンボリ牧場から3頭の3歳馬が美浦入りしたが、誰の目にも素晴らしい馬と見えたのは、シンボリルドルフではなく、クヌートシンボリという馬だった」
「生産したシンボリ牧場の人びとも、美浦の厩舎関係者も、もちろん私も、この年のシンボリ牧場の1番馬はクヌートシンボリだと思っていたのだから、馬とはそれほど分からないということだろう」「競走馬私論・馬はいつ走る気になるのか」クレスト新社 藤澤和雄著
藤澤和雄調教師の語るように、誰の目にも素晴らしい(馬体)と映った馬はクヌートシンボリであって、シンボリルドルフではなかったということです。このことが何を意味するかというと、10年に1頭のような歴史的名馬は、2歳時の馬体からは計り知れない成長を遂げるものであり、いざ馬の背に跨って初めてそのエンジンの凄さが分かるものであり、さらに言うと、外からは知りえない強い心を持っているということでしょう。
はじめてその背に跨った野平祐二調教師は、シンボリルドルフの心のありようについてこう語っています。
「この3歳の鹿毛馬は、背に乗った瞬間に私を驚愕させました。騎手として、調教師として、私はおそらく1万頭(延べ)に近いサラブレッドの背に跨っているはずです。しかし、シンボリルドルフの手綱からは、私が知っている数々の馬とはまったく違った心、違った性格が伝わってきたのです。(中略)私がいちばんびっくりさせられたことは、自分が『強い馬』であることを、シンボリルドルフがはっきり自覚していることでした」
「競走馬私論・馬はいつ走る気になるのか」クレスト新社 藤澤和雄著
シンボリルドルフのような歴史的名馬を挙げて、だから1歳馬や2歳馬の馬体を見ても、将来どのような馬になるか想像できないと主張しているわけではありません。むしろこうした馬は極めて例外的な存在であり、ほとんど全ての馬たちは、募集時代にはすでにその素質や特徴の片鱗が馬体からにじみ出ているということです。私たちは10年に1頭の馬を引き当てたいと思っているのではなく、他馬よりも少し速く走ることのできる馬を他人よりも少し早くみつけたいだけなのです。